2017年11月15日水曜日

コミュニティFMのパーソナリティに多い病

芸能人風一般人が増加中

一般人がネットや格安のメディア枠を購入して芸能人風に振る舞っている光景をよく見るようになりました。
以前は「一般人が芸能人ぶって・・・」と冷ややかに思われるところもあったかもしれない。
でも、今はちがう。
ネットもテレビも玉石混合。 
玉石混合とは良いものや悪いもの、優れたものや劣ったものが混在している状況のこと。「淆」は「交」とも書く。
出展:Hatena Keyword
そもそも芸能人ってどこから?と思うようになってきました。

音楽業界のアマチュアとプロの境界線も曖昧に

僕自身、バンドマン時代に思っていた、プロとアマチュアの境界線は、メジャーレーベルとの契約であったけど、今はそれすら曖昧になってきている。
結局、Youtubeで再生回数が多い方がプロだろうとアマチュアだろうと同じ土俵でファンを獲得している。
デビューだって、「登録」で自主的にできる時代。

そんな中、ラジオの世界も似た様相を呈している。


というのも、全国にコミュニティFMラジオ局が立ち上がり、誰だかわからない人達がパーソナリティを務めている。
そんな中、その誰だかわからないという点をすっ飛ばして、「自分ごと」を話してしまうのだから、正直、聞いていられない番組が多い。
「自分ごと」を話して聞いてもらえる人というのは、ごくごく一部の人に限られる。

大事なのはコンテンツだということ。

まず、リスナーはコンテンツに惹かれ、その延長戦でパーソナリティに惹かれていく。
これは、音楽しかり、お笑いしかり、役者しかり、全てそうだ。
それなのに、いきなり自分ごとを話しているのは、コミュニティFMのパーソナリティに特に多い。
コンテンツに惹かれ、その発信者に惹かれ、そして、ファンになる。
コミュニティFMのラジオ番組に多いのが、ラジオパーソナリティになることが目的で制作している番組です。
だから、自分ごとになっていくわけです。
もちろん、ラジオパーソナリティになることは目的であっても良いのだけど番組それ自体がその目的になっていませんか?
むしろ、コミュニティFMの番組枠は制作会社が買い、制作会社が企画して、それに合うパーソナリティを選考するというのが、ベストな手順のような気がしています。
そんな制作会社を目指しているわけです。
とにかくコンテンツ力のある番組が増えることを切に願っています。

2017年11月14日火曜日

コミュニティFMにも賞があればいいな

文芸界のクオリティを上げている賞の存在


これだけ映像社会になりつつあるし、若者の本離れと言われて久しいにもかかわらず、文芸業界は、依然として廃れていない。
僕自身が、紙の本で小説を読むことを趣味としているのだから、廃れるわけがないと確信はあるものの、絶対に廃れることのないカラクリの一つに賞の存在があると思う。
芥川賞や直木賞、そこに至るまでの各団体が運営している新人賞など、たくさんの賞がある。
たくさんの読者に愛されることが第一使命であるとは思うけど、その登竜門として賞は作家の技術の向上や、モチベーションアップに役立っているのがよくわかる。

ラジオの世界にも、賞はある。

ただ、放送業界が対象なので、ラジオ部門といったところかもしれないけど、ギャラクシー賞が有名なところ。
もっともっと賞があっても良いのではないだろうか?と思ってしまう。
裾野が広ければ広いほど、賞で質の底上げができるのでは?って思う。

とりわけコミュニティラジオの世界は、賞というものとは無縁。

おそらくギャラクシー賞の選考範囲内にも入っていないだろうというのは想像がつきます。
どんなにおもしろく、どんなに素晴らしい番組でも、ほとんどの人が気付かない。
そういうダイヤの原石を掘る人も機関もないんだからちょっと残念だ。
というわけで、全国のコミュニティFMに提案したいのが、御局の番組の中で御局独自の賞を提案してみてはいかがでしょうか?ということなんです。
局長やスタッフ、リスナーで決めるFM○○賞。月単位だと持ち回りになりそうなので年単位がベストです。
更に、その各局の優秀賞同士で最優秀を決めるコミュニティFMのギャラクシー賞のようなものがあっても良いのではないかな?
そういうところで技術の底上げをして、技術の底上げができるのではないかな?と思っています。
賞を贈る機関を作りたい
賞を贈る機関を作りたいのだけど、僕のようなどこの馬の骨かわからない人間が賞を贈っても「あなた、誰?」となるのだから、まずは、機関作りからなんでしょう。
馬の骨でも100人集まって投票すればそれはそれで栄誉と感じてもらえるのではないでしょうか?
そんなことを、僕が監事を務めるNPO法人で提案したいなと思っているんです。